朝日新聞「第2山梨」面やまなしに想う(第2回)(2006.12.16朝刊掲載)
昨年の5月下旬、初めて、上野原市の棡原(ゆずりはら)を訪れた。大月市から国道139号で松姫峠を越え、小菅村で折り返して県道18号を南下するルートをたどった。
棡原に行ってみたかったのには訳がある。7、8年前、「粗食のすすめ」で一大ブームを巻き起こした幕内秀夫氏が、日本の伝統食を見直すことになったきっかけとして棡原との出会いを挙げ、かつて日本一の長寿村と言われた棡原の伝統食や風土、人々の暮らしを紹介していた。私はその頃、この国の食のあり方に疑問と危機感を抱き、いわゆる「自然食」の方向に自らの食生活を転換しようとしていて、単行本の『粗食のすすめ』シリーズ(東洋経済新報社)から多くを学んでいた。幕内氏が「わたしの食に対する考え方を決定づけた」という棡原。前々から機会があれば行ってみたいと思っていたのだ。
さて、小菅村からいくつか峠を越えながら谷筋を下り、ゆずりはら青少年自然の里に到着。駐車場に車を止め、木立の脇から急傾斜の山肌を見上げる。すると、予想をはるかに上回る高い位置に、石垣で土留めされた畑と、数軒の農家や納屋が寄り添う集落が見えた。「天空の村」という言葉が、口をついて出た。そして、不意に私のなかに、「ここに生活がある!」という感覚がわき起こった。それは何か崇高な、襟を正させるような感覚だった。
米は作れるはずもない地形。少しでも日照時間の長い土地を求めて「天空の村」を築いた先人たちの並大抵ではない努力。陸の孤島。自給自足の、完結的でしかあり得なかったであろう暮らしと生業。いまも住み続ける人々の営み。息づく暮らし。ここにあるのは、凝縮された、丸ごとの生活。その偽りのない、揺るぎないリアリティーは私を圧倒した。
「人が生きる」ということは絶対的だ。
幕内氏がとらえた「何を食べるかというより、何が採れるかということで自分たちの食生活を形作っていた」伝統的な人々の生き方に、比較の余地はない。人が生き、生活する。その現実が存在するのみだ。このことを、棡原は、瞬時に私に確信させてくれた。
棡原との出会いは、「地域」と「生活」をキーワードに社会と人間のあり方に思いをめぐらせている私にとって、一つの啓示であった。すでに30年近く前に「ほろびゆく長寿村」として話題になったという棡原は、いまなお、その空間において、「生活」の何たるかを具現し続けている。
(にしもと・かつみ=都留文科大学教授)